diary 2023.6.

diary 2023.7.


2023.6.30 (Fri.)

本日から期末テストだが、わが地理はトップバッターでの登場なのであった。

「世界で最も深い場所の名前を書きなさい。」という問題で、「土合駅」と書く生徒がいてなかなかやるなと。
あと、「マリファナ海溝」と書いてくる生徒もいて、これにはもう赤ペンで「ダメ。ゼッタイ。」と返すしかないよね。


2023.6.29 (Thu.)

今日は地味にイライラさせられることが朝からずーっと連発な日でございまして。
しかしながらキレることもなく、右から左に受け流すのであった。そもそもがもはやキレる気力もあんまりないけど、
どちらかというと「こんなことでキレているようじゃちょっとかっこ悪いよなあ」って鷹揚な心境でありまして。
気力に欠けている状態を、そのまま余裕へと転化してしまおうと。金持ち喧嘩せずとは真理であるよなあと。
そんな感じで一日を過ごしたが、ツイてない一日も気にしなけりゃそんなに問題ないなあと思うのであった。


2023.6.28 (Wed.)

歳をとって丸くなるのは、人間はそんなに賢いものじゃないという事実を受け入れることによる諦めだと思うの


2023.6.27 (Tue.)

ワクチンちくわ~


2023.6.26 (Mon.)

週初め、すっきり気分がいいのは、『CAPCOM Arcade Stadium』(→2023.6.19)でCPシステムを遊び倒したおかげか。
これまでCPシステムのゲームは憧れの存在で、基本的には僕ら兄弟の間での妄想の中にあるものでしかなった。
中学生や高校生になって、たまに家族で伊那とか駒ヶ根に行ったとき、運がよければ1~2ステージ体験できる、
そんな程度だった。それを30年経ってからパソコンで死ぬほど遊べるなんて、まったく想像できなかった未来なのである。
長生きするもんじゃのう。いや本当にこんなことができる世の中になるとは……。まだ少し現実感がないくらい。

それにしても思うのは、ウチの親は偉かったなあということ。学校でゲーセンが禁止されていたにもかかわらず、
飯田を離れたタイミングでゲーセンで遊ばせてくれたのが今でもちょっと不思議。ファミコン禁止令の時期もあったのに。
おそらくファミコンが解禁されても僕ら兄弟は節度ある遊び方をしていて、同情を引くほどカプコン狂いだったのだろう。
家でもカプコンゲームの絵ばかり描いているし、1ゲーム50円で200円分ぐらいは遊ばせてやるかという気持ちだったのか。
そんなことを考えつつCPシステムのゲームを楽しんでおります。レトロゲームで親に感謝。


2023.6.25 (Sun.)

橋本悠『2.5次元の誘惑』。……マシュじゃん(エロ同人でしか知らんが)。

すごく頭の悪い『着せ替え人形』(→2022.4.4)かと思ったらジャンプだった。コスプレで友情・努力・勝利。
だから前半のバトル(コスプレ)はフィギュアスケート的というか、なんだかよくわからん領域で戦ってます感がすごい。
よくわからん世界のよくわからん勝負。『ボンボン坂高校演劇部』でのナルシスとバレエの先生の戦いを見ている気分だ。
なんかすげえ盛り上がっているけど少し冷静になるとよくわからん理屈のバトル。まあたぶんどっちも正しいんだけど。
でっかいコマで勢いで押してくるので、効くことは効く。キン肉マン名物「へのつっぱりはいらんですよ」に対する返し、
「おお! ことばの意味はわからんがとにかくすごい自信だ!」という感覚になる。絵の上手さって武器ですね。
で、このバトル、決着のつき方が恣意的というか、どうしてもキャラクターの主観的な部分によるところが大きい。
これってラブライブと同じなのね(→2022.12.23)。「be a cosplayer("cosplay"として英語が成立している!)」、
その部分での各自の納得の問題。物理でない以上、そうならざるをえないけど。これを画力で押し通してくる感じだ。
しかし話が進むにつれてバトルの軸は変化してきて、他者と自分を比べてどーこーよりも自己の救済の要素が強くなる。
つまり、「勝利」の条件が自己の肯定となる。結局、最近の作品で求められているのはそこなのかなと(→2023.1.24)。
間違いではないのだが、正直この流れには食傷気味ではある。日本人の“傷つきやすさ”は頂点に達しておりますな。

マンガとしては、前に生徒に女装で甲子園みたいな話をしたことあるけど、正直あれをやられた感じ(→2011.2.15)。
(日記には書いていないが、その後、当該生徒はかなり腕を上げていて、写真を見せてもらってたまげた。→2019.3.2
まあコスプレも女装も自分の理想の身体を目指すことには違いないからね。最後は個人の価値観、憲法の認める自由権、
精神的自由、表現の自由なので。やりたいようにやればいいのである。それをバトルの味付けでやれるもんなんだなあと。
ただ、話が進んで四天王の星月夜姫が登場するとネットの炎上と自己肯定感の問題が主要テーマとしてあがってくるし、
淡雪エリカの段に至っては言語と思考の関係にしっかり踏み込むなど、かなりハイレヴェルな内容になってくる。
「人は言語でしか思考できないから言葉の『綾』に思考がひっかかることがあんの」とか、どんだけ鋭いんだ。
連載開始当初との偏差値の差が凄まじい。また、おたくにとって完全に他者である新入部員を登場させることにより、
表出と表現の問題(→2013.9.5)にまで踏み込み、さらには人生における「狂気」の問題を正面から衝いている。
作者の引き出しが劇的に増えていて、成長度合いがとんでもない。そうとう頭の切れる編集者がついているはずである。

特徴はキャラクターが徹底して優しいことで、これはやはり近年のわれわれの“傷つきやすさ”を反映したものだろう。
そんな優しい世界と友情・努力・勝利は本質的に相性がよい(みんな男塾に入るじゃん)。このマンガが興味深いのは、
しっかり女の世界でやっている点である。女子のイヤな部分が極力排除されていて、それもまた理想の自分ということか。
ストーリー展開の基本は誤解からの雪解け。また自己の疎外からの肯定。桂枝雀風に言うと「緊張と緩和」の繰り返しだ。
これってたぶん、『北斗の拳』みたいな感じで無限にできる(→2012.7.12)。リリエルはいわば一子相伝の北斗神拳。
魅力的なキャラクターたちを死なせるかわりに、リリエルの世界に取り込んでいく。そうやって漫画研究部の中に、
ボケ勢とツッコミ勢が確立されていく。ここから『アルプス伝説』的なギャグの感触が漂いだすのがまた面白いところだ。
(だんだん雑な感じになっていくまゆら先生にアル伝の三彅先生を感じるのは、気のせいではないと思う(→2005.3.2)。
 また、ライヴァルが次々と出てくる感じは『デトロイト・メタル・シティ』(→2006.8.142007.5.8)っぽい。)
属性で考えると、まずリリサ(おたく)→まゆり(師匠)とおたく路線を固めて、美花莉(モデル)→ノノア(おたく)
→アリア(ギャル)→まりな(おたく)→翼貴(お嬢様)という具合にボケとツッコミを交互に出している点が戦略的だ。
特に「きれいな畑ランコ」(→2022.11.7)と言えるまりなでボケを強化して以降のギャグ密度は凄まじいものがある。
『ハイスコアガール』(→2021.1.4)を暗示して「著作権侵害」とか、毒の切れ味もすごい。これには恐れ入った。
(ただ正直、ボケが加速化しすぎて元ネタがわからんギャグが多数。自分はおたくではないなと思わされるのであった。)
また、翼貴の加入はおたくに対する他者の視点という適切なツッコミと、おたくに対するボケの両立を実現するものだ。
そうしてバトルを抑えて日常ギャグを増やしつつシリアスに内面をえぐるという3つのパートでバランスを取っており、
バトルのインフレとラブコメのスピードを抑制して物語をうまくコントロールしている。単純な友情・努力・勝利なら、
コスプレを次々繰り出す展開もできただろうが、それをしない。ジャンプがこれまでやらかしてきた才能の消費を、
実はかなり賢く解決している。またその一方で、おたくに対し「他人から見えている自分」を意識しなさいとも説く。
どことなくモノローグのつくりが少女マンガ的であるが(特にコスプレの主観的バトルでそれが存分に発揮される)、
友情・努力・勝利だけでは足りなかったものをきちんと取り入れていて、気がつきゃ実に真っ当なマンガである。
四天王の個性の持たせ方もまた見事で、特にラストの淡雪エリカを主人公コンビと対称形にするのが恐ろしく的確。
魅力的な物語は関係性の変化を成長として描くものだが、主観的バトルを通した自己肯定の仕組みを存分に活用し、
四天王の側もまた主人公たちによって成長するのが効いている。実は今、最も現代をえぐっているマンガかもしれない。


2023.6.24 (Sat.)

サントリー美術館『吹きガラス 妙なるかたち、技の妙』を見てきたのでレヴュー。
全5章構成で、古代ローマ・ヨーロッパ・東アジア・近代日本・現代と、なかなか多様な内容である。

吹きガラスの製作は、前1世紀の中頃にローマ帝国が支配していた東地中海沿岸部で始まったそうだ。
この最初期のガラスはなんとも侘び寂びの世界である。青銅器(→2023.2.23)と同じく歴史のロマン。
15~17世紀になるとヴェネツィアンガラスが圧倒的な迫力を見せるようになる。吹きガラスで本体を形成し、
そこに熔解炉で熔かしたガラスを付け加えていく(これをホットワークという)。その仕上がりは実に華やかで、
高級品としてヨーロッパじゅうに広がっていったのがなるほどよくわかる。技巧に行き過ぎている感もあるが。
特に16世紀には、その最高峰と言えるレースガラスが発展。どうやって作ってんのか説明されてもワケがわからん。

  
L: 左から把手付水注(シリア:2~3世紀)、長頸瓶(東地中海沿岸域:1~5世紀)、水注(シリア:1~5世紀)。
C: 船形水差(イタリア:16~17世紀)。ヴェネツィアンガラスの技巧は立体造形の究極形のひとつかもしれない。
R: レースガラスを用いた作品(現代のもの)。こんな感じで螺旋の美が展開される。いやはや、目が眩む。

下のフロアに下りると東アジアに舞台が移る。こちらの吹きガラス生産は5世紀頃に始まったらしい。
ヴェネツィアンガラスが超絶技巧を極めていったのに対し、東アジアは技術的な制約が強いままで進んでいき、
素朴な方向性が保たれることとなった。日本のガラスも徐冷の技術がないことで、型吹きに特化したとのこと。
それでも江戸時代後半のびいどろはかなりハイレヴェルであり、結果的にモダニズムの匂いが漂うのが面白い。
なるほどヴェネツィアンガラスのような装飾性には至らなかったが、ガラスそれ自体の美しさが追求されている。
刀身じたいの美しさを追求していった日本刀に似た価値観をなんとなく感じる。かなり興味深い点である。

  
L: 紫色ちろり(日本:18~19世紀)。  C: 藍色ちろり(日本:18世紀)。  R: ちろり(日本:19世紀)。

明治以降の日本は品川硝子製造所(→2013.5.6/2021.7.31)から全国各地にガラス職人が広がっていき、
ガラス産業が発展していったとのこと。展示で特にクローズアップされていたのは氷コップ(かき氷入れ)。
時期は明治時代末頃から昭和時代初期にかけてで、なるほどこれも大正ロマンとカワイイ文化かと(→2023.6.4)。
あとはちゃんとウランガラス(→2012.9.232014.7.27)も数点展示されていた。いやあ、さすがサントリー美術館だわ。

  
L: わりと好みだった氷コップの写真を3点、貼り付けてみるのだ。まずは「めだか文ラッパ形氷コップ」。
C: 「籠目文赤縁碗形氷コップ」。  R: 「吹雪文碗形氷コップ」。どれも大正ロマン・昭和モダンの匂いがする。

六本木から久しぶりに秋葉原へ行ってみたのだが、めちゃくちゃ人が多かった。特に外国人の多さが凄まじい。
建物の新陳代謝もあって、なんだかアウェイな気分になってしまった。秋葉原を楽しめなくなってきたなあ……。

 雁川の牛すじチャーハン(大盛)をいただいた。

秋葉原にあまり行かなくなったからって、じゃあどこかよく行く場所があるかというと、そういうわけでもない。
外に出ることに消極的になっとりゃせんかと反省してみる。まあ美術館にはあちこち行くようになってきているけど。


2023.6.23 (Fri.)

地理のテストの目処が立った。今回は僕の単独作成でなく、他クラスの授業を持っている先生も参加。
その先生は地理が専門ではないものの、教科書をもとにシンプルな問題をけっこうな数つくってくれたのである。
自分にはなかなか思いつかない問題で、なるほど面白いと唸ってしまう。出題傾向に多様性を持たせることができたぜ。
やはり自分独りだと知らず識らずのうちに凝り固まってしまうところがあるのだ。あらためて勉強させてもらっている。


2023.6.22 (Thu.)

漫研の生徒からウサギを描いてくれと頼まれる。いろんな先生に描いてもらって、見比べて楽しんでいるんだと。
「まじめなのとふざけたのとどっちがいい?」と訊いたら「任せます!」と返ってきたので、そりゃふざけますわな。
それで境港(→2013.8.20)を訪れた記憶をたどり、水木しげる風の顔で妖怪ウサギ男を描いて笑い死にさせたのであった。
何も見ないでいきなりあの顔を描くのは初めてだったけど、うまくいってよかったよかった。
実は漫研の顧問に最もふさわしい人材である、というところを見せつけてしまったな。
(さすがに申し訳ないので、横に小さくミッフィーを描いておいたのであった。)

ちなみに去年は朝学活に僕が臨時登板することがけっこう多くて、その際に連絡事項を書いた紙を用意していたのだが、
そこにコロ助を描くのが習慣であった。で、その生徒曰く、僕の体調が悪いほどコロ助が小さくなる法則があったそうで。
な、なるほどー!


2023.6.21 (Wed.)

『お兄ちゃんはおしまい!』のアニメを見てみたよ。最近おたくで本当にすいませんね。

野郎どもに女の子の大変さを教えるストーリーなのかと思ったら、結局は女子たちのわちゃわちゃなのであった。
かわいい女の子は何をやっても許されますもんね。「汚らわしいY染色体」を持って生まれたわれわれとしては、
「尊い、尊い……」と言って崇めるよりないのである。それ以上でも以下でもございませんね。

とりあえず、ねことうふ氏はデレマスのアイコンを全員分描いてくれ。おしまい。


2023.6.20 (Tue.)

昭和レトロがたいへん話題になっているが、それならメタボリズムの再評価がもっとされてもいいんでないの?

すいません、やっとこさ寒河江の旅を書いたところなんだけど(→2019.10.28)、寒河江市役所がやっぱり面白くて。
メタボリズムの魅力については折に触れて書いているが(→2016.7.10/2020.8.14)、あれは本当に偉大な運動だと思う。
丹下先生の弟子たちが知恵を絞って自らの個性を爆発させ(→2009.1.82011.8.11)、師匠は師匠で大爆発(→2012.5.6)。
モダニズムの研ぎ澄まされた上品さ(というか抑制)とポストモダニズムの猥雑さのちょうど中間にあるような気がする。
面白いのはそれが「都市」という文脈でしっかりつながっていることで、あらためてその価値を実感しているところだ。

僕は社会学を「近代」を問う学問だと捉え、空間論をホームグラウンドとする在野の「都市社会学者」だと自認している。
となればメタボリズムは当然、研究テーマのど真ん中であるわけだ。まずお前がきちんとメタボリズムの勉強を進めて、
そうして再評価の火をつけろよ、って話ですな! まあでもせっかくの昭和レトロブーム、空間的にも評価が進んでほしい。


2023.6.19 (Mon.)

Windows向けの『CAPCOM Arcade Stadium』(→2020.12.112023.6.12)をComplete Packで購入してしまったぜ。
さらに『ロックマン クラシックス コレクション』も購入。これが合わせて4000円弱で買えるとか……。信じられん……。

いざ挑戦してみるが、ボタンの操作にぜんぜん慣れないのでつらい。最初の画面からゲーム選択、調整がまず大変で。
とりあえず、最低難易度に設定した『U.S.NAVY』をコンティニューしまくってクリア。ああ……。夢のようだ……。
正直言って、オレ実は死んでいるんじゃないかと。死んで天国で夢だったゲームを遊びまくっているんじゃないかと。
こんな贅沢が許されるとか、私は現世で何か大きな代償を支払ったことで、神様が憐れんでくれたのではないかと。
まあとりあえず、この調子でのんびりと遊んでいくことにするのだ。しかしまあ、とんでもない時代になったもんだなあ。

操作に苦労しつつも画面設定を調整してプレー。それにしてもなぜアーケードの筐体にこだわるのかよくわからない。
ディスプレイにフルサイズで映し出すと、長年の妄想よりも画質が粗いなあと思う。SFCよりも粗いような気がする。
大きいキャラを動かしていると言えば聞こえがいいが、画面がいっぱいいっぱいで余裕がない感じ。窮屈である。
それで『1941』も『U.S.NAVY』もよけいに難易度が上がっている気がする。まあ、慣れるまで遊び倒しましょう。


2023.6.18 (Sun.)

泉屋博古館でやっている『木島櫻谷 ― 山水夢中』を見てきたのでレヴュー。

まず木島櫻谷を「このしま・おうこく」と読めないといかんのである。Google Pixelはちゃんと変換するのでびっくり。
動物画に定評のある画家だが、今回の展覧会では山水画を特集。写生で培った力を存分に味わえる作品が並んでいる。
活躍した時期が明治の末から大正にかけてで、この時期に洋画の影響を受けて日本画の革新が盛んになされたのは、
ここ最近のログで書いているとおりである(→2023.4.30/2023.6.11)。櫻谷もかなり試行錯誤をしていたのがわかる。
特に絵の具の立体的な残し方と遠近法を使った描き込みが洋画らしい部分で、銅版画を思わせる精密さも特徴的だ。

櫻谷の代表作ながら夏目漱石がボロクソに批判したことで知られる『寒月』も展示されている。
一見すると非常に写実的で洋画っぽいが、枝や根開け(幹の周りの雪解け →2015.5.8)や足跡などは完全に日本画で、
明確な使い分けがなされている。方法論が完全に分化していて、そこが漱石には気持ち悪かったのかもしれない。
まあこれは総合的にみて日本画ではないなと思う。現代の感覚だと違和感は少ないが、どっちつかずである。
印象的なワンシーンをしっかり描き出すために日本画と洋画のいいとこ取りをした姿勢が、時代性の反映ってことか。
続く『駅路之春』もそうだが、モダン前夜といった印象だ。『駅路之春』の絵の具はツヤなしで立体的に塗られており、
油絵に見られる凹凸を几帳面に消化している。そうして対象の形を様式化しようとする意識が感じられる。これは日本的。
だから1920年代のモダンへと向かう路線を日本画の側からアプローチした画家、とまとめられるのではないかと思う。

山水画を見た限りでは、とりあえずそんなところで。


2023.6.17 (Sat.)

本日は朝から近くの学校でソフトボール部の合同練習なのであった。
当方、球拾いに徹するが、ボールを投げて返す段になってノーコンぶりを存分に発揮。マジで恥ずかしい。
ここ最近の運動不足はとんでもないレヴェルであるが、それにしてもひどい。オレの存在を記憶から消去してくれ……。


2023.6.16 (Fri.)

偉大な投手の訃報が連発ということで、なんとも悲しい気分になっております。

「精密機械」こと北別府氏は、もう、亡くなるのが早すぎる。僕がプロ野球に本格的に興味を持ったのが1992年で、
このシーズンに通算200勝を達成したのでそれが深く印象に残っている。この時期に現役だった方がもう亡くなるのかと、
ショックでしかない。投手王国・広島の象徴。北別府氏が引退して以降、広島の投手陣は壊滅したままですなあ……。

「フォークボールの神様」こと杉下氏は、もちろん現役時代は存じ上げないのだが、究極のレジェンドのひとりで、
90歳を過ぎてもキャンプに現れてはバリバリなところを見せつけてファンにプロ野球選手の超人ぶりを知らしめる、
そういう存在だった。カネやんと同じくらい「死なねえんじゃねえか」と思わせてくれる方だったが。大往生なのかな。

往年の名選手の訃報に接するペースが上がっていると思う。それは仕方のないことだが、やっぱりつらいですよ。


2023.6.15 (Thu.)

「で、マサルは広末直筆の手紙に興奮したんでしょ?」
「きもちくなったよ」


2023.6.14 (Wed.)

すごく面白い指摘だと思うので、『シン・仮面ライダー』について、マサルから来たSMSのメッセージを転載します。

結局エヴァと変わらないテーマですね!
西野七瀬を味わいました。

エヴァと同じと思ったのは、ある家族の極私的な事件がきっかけで、
家族の一人の異常な執着により世界が崩壊しかけるも、別の家族の説得により、
崩壊は最終的に諦める→新たな世界が始まるというのが似てるなーと思ったからです。

そういう一個人の強烈な思いが世界崩壊につながる的なテーマがあるのかなと思っただけです。
シンゴジラも牧教授が政府への恨みかなんかでゴジラ生み出したみたいなので。

シンウルトラマンはちょっと違ってそうだけど

……というわけで、なるほどなるほど。「家族」がキーワードになっているというのは、言われてみれば確かにそうだ。
今の時代に家族を問い続けることの社会学的な意味合いをじっくり考えたいところである。

(参考までに僕の過去ログ:『シン・ゴジラ』→2016.8.23、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』→2021.3.242021.6.30
 『シン・ウルトラマン』→2022.6.15、『シン・仮面ライダー』→2023.4.5


2023.6.13 (Tue.)

すいません、艦これの新アニメについて書くのを完全に忘れていたのでここで書いておきます。
『「艦これ」いつかあの海で』。なんだかよくわからんけどコロナの影響もあったそうで全8話。
(前作についてのログはこちら(→2017.2.14)。そんでもって『劇場版 艦これ』はこちら(→2018.3.15)。)

制作サイドの勘違いっぷりが甚だしい。視聴者が何を見たいのかをここまでまるっきり理解できていないとは。
序盤、ひたすら戦ってばかりで退屈極まりない。動く艦娘と爆発、ただそれだけ。そんなもんが見たいわけねえだろう。
ゲームやっている人は「こう動くんだ」と楽しめるのかもしれない。しかし当方すでに引退して久しいのでサッパリ。
わざわざテレビの枠を確保して声優さんつけてコレ? 意味がわからん。戦う艦娘が見たい、以上の理由が見つからない。

戦わない平時の場面もまたよくわからない。会話が変というか、とにかく自然でない。ダイアローグとして不自然。
富野みたいな半端なモノローグの積み重ねも気持ち悪いが(→2013.5.22014.5.282018.4.162023.3.15)、
あれよりもなんというか素人くさいのである。演じ手一人ひとりにセリフの場面で花を持たせる学芸会って感じ。
つまり、会話という行為の中身に意味があるのではなく、各キャラクターの発話行為じたいに意味があるというわけ。
どのキャラクターにもきちんとセリフを与えましょう、というレヴェル。だからセリフを言い終わってから次の人へ行く、
そんな会話の間合いがとっても不自然。会話が次の場面へと転換するためにいちいち段取りを踏む感じになっていて、
つながりがものすごく悪い。ゆえにテンポも悪い。しかもなんでみんなうんこガマンしているみたいにふんばった声なの?
結局のところ、このアニメ化の目的は、印象的なシーンをつくりたいってことだけだろう。その結晶が時雨改三なのだな。
物語としては完全に破綻しており、手段と目的を履き違えるとこうなるよ、という悲惨さを実感できる反面教師である。

ま、鈴谷も摩耶もプリンツ・オイゲンも出ていない時点でダメですな。


2023.6.12 (Mon.)

カプコン40周年記念サイト「カプコンタウン」を見てみたよ。僕のわかるカプコンはCPシステムIまでなので、
ふだんは歴史の地層に埋もれている感覚なんだけど、そこにもスポットライトが当てられているのがすごくうれしい。

いろいろ見ていくうちに、WindowsでもCAPCOM Arcade Stadium(→2020.12.11)が遊べるらしいとわかって大興奮。
Steamとかようわからんが、これはゲームパッドを買っちゃおうか、そしてCAPCOM Arcade Stadiumを買っちゃおうか、
そんな気持ちになっております。しかし、WindowsでCPシステムIが遊べるのか。本当にすごい時代になったね……。


2023.6.11 (Sun.)

では、昨日訪れた五島美術館の『近代の日本画展』について書くのである。

まず「近代の日本画」ということで、こないだ東京国立近代美術館で見た『重要文化財の秘密』の復習という感じ。
基本的な僕のスタンスはそちらできっちり書いているので(→2023.4.30)細かいことは参照してもらうとして、
まあやはり、「新たな価値観に対する興奮」「芸術家として『できることが増えた!』という純粋な喜び」、
それを感じさせる作品が並んでいる。洋画の手法を採り入れて、いかにもイキイキしているものが多い。

具体的なことを言うと、まず筆づかいと色の自由化が革新的である。そもそも洋画と日本画の違いというと、
余白の有無と絵の具の濃さが挙げられる。それまでの日本画だけでは気づくことのなかった束縛があったわけだ。
「近代の日本画」はおそるおそる洋画の自由さを採り入れる。その採り入れ方が作家性の根源となっていく。
前田青邨は三白眼というか、目が独特。高畠華宵(→2023.6.4)っぽいかも。橋本雅邦の素描は上手すぎて眩暈がする。
寺崎広業の『夏のひととき』が美人すぎてヤバい。見ているとこっちの魂がもっていかれそうになる。
『へうげもの』(→2011.8.252018.5.13)は絶対、菊池契月の古田織部像を参考にしていると思う。
そして絵画だけでなく、貴重な墨や硯も展示。これはマニアックにも程がある。おたくとは恐ろしいものだ。

ざっとそんな感じで近代化の躍動感を味わうと、外に出て庭園を散策。天気がよろしくないのが残念だが、
梅雨の時期だからしょうがない。覚悟を決めてバシャバシャ写真を撮りながら一周するのであった。

  
L: まずは五島美術館の入口から。  C: 中に入ってエントランス。本館は吉田五十八の設計で1960年竣工。国登録有形文化財。
R: 中庭に出て振り返ったところ。まあつまり、鉄筋コンクリートで寝殿造をやっているわけだ。色にもこだわりがあるそうで。

  
L: 庭園。等々力渓谷(→2021.7.25)ほどの規模ではないが、こちらも武蔵野台地は国分寺崖線の一部とわかる高低差だ。
C,R: 庭園内には高低差で演出しながら石塔・石仏・石灯籠などを配置してある。根津美術館(→2023.1.29)と同じ価値観か。

  
L: 西側の春山荘門。  C: 中に入るとまた門。「不許葷酒入山門」とはどこから持ってきたのやら。  R: 赤門。

  
L: 瓢箪池。  C: 高台側に上がってきた。  R: 台地の上下ではっきりと雰囲気が変わるのは面白い。

  
L: 南側。二子玉川のビル群が顔を覗かせる。  C: 富士山眺望ポイントとのことだが木が遮ってぜんぜん見えなかった。
R: 中央にある稲荷丸古墳。外から見るに古墳らしさは感じないが、縄文時代の竪穴式住居跡や貝塚が見つかったそうだ。

見学を終えて美術館の敷地外に出ると、あらためて外側から崖を見てみようと思い、北側の富士見橋へ。
下を東急大井町線が通っているのだが、想像していた以上にしっかりと高低差があった。うーん武蔵野台地!

 五島美術館の庭園(左)脇を通る東急大井町線の電車。

ふだん通勤で乗っている大井町線だが、あらためて外から眺めてみると面白い。勉強しなくちゃいけないことだらけだぜ。


2023.6.10 (Sat.)

午前中は日記を書いて、上野毛に移動。今シーズン初となるココイチのチキンと夏野菜のカレーをいただくと、
五島美術館へと行くのであった。テーマは『近代の日本画展』で、こないだ東京国立近代美術館で勉強したことを、
しっかり復習しようというわけである(→2023.4.30)。庭園も込みで、内容については明日の日記に書きます。

で、美術鑑賞の次はサッカー観戦である。先週に引き続き横浜は三ツ沢球技場へ。カードはJ3・Y.S.C.C.×愛媛なのだ。
理由は単純に「一平くん(→2013.9.292016.3.262016.6.19)に会いたい」なのだが、愛媛はJ3で首位争いをしており、
その好調ぶりをぜひこの目で見てみたいというのもある。大好きな三ツ沢でのんびりサッカー観戦。最高の週末だぜ。
あまりに気分がいいのでビールでも飲もうかと思ったが、なんだか一生懸命やっている選手に悪い気がしてしまい、
サッカー観戦では基本、飲まない(サッポロクラシック(→2015.11.1)とオリオンビール(→2018.6.23)は例外)。
野球観戦だと飲まずにはいられないのだが(→2022.9.42022.9.25)。なんとも不思議なものである。

  
L: 2週連続となる三ツ沢なのだ。Y.S.C.C.のホームゲームはバックスタンドを開放しないので必然的にメインスタンドでの観戦。
C: 愛媛サポの皆さん。残念ながら一平くんの姿はなかった。  R: ホーム側。Y.S.C.C.のおかげで楽しく三ツ沢観戦ができる。

 愛媛の試合前練習。鳥かごだけでも、J3のレヴェルが以前より上がっているのがわかる。

試合は開始早々の2分、いきなりY.S.C.C.が先制。味方がパスカットしたボールを受けた道本がドリブルで切り込み、
最後はFW福田が落ち着いてシュート。そういえば数日前にネットで「黒手袋の男」という福田についての記事があった。
Y.S.C.C.に移籍してきてから裏に抜けるタイプのFWとして開花し、得点ランキングで2位につけているとのことだが、
おばあちゃんが買ってくれた黒い手袋を「見つけられやすいと思って」付けているという選手。確かに目立っている。
止めて蹴るのが上手いなあと思って練習を見ていたが、なるほどこれはいい選手だ。こういう発見があるから楽しい。
しかし愛媛も上位らしい落ち着きぶりで対応。25分にロングフィードで抜け出したベン ダンカンがゴールして同点。

  
L: FW福田の先制ゴール。記事に出ていた選手がいきなり活躍するとはびっくりというか、記者も選手もさすがというか。
C: 愛媛もしっかり同点に追いつく。GKはロングフィードに対して前に出るかどうか判断を迷ったことで後手に回ったな。
R: Y.S.C.C.公式マスコットのハマピィ。父はオカピ、母はペガサスで本牧在住だそうだ。愛媛サポにも人気なのであった。

後半に入っても熱い戦いが続く。Y.S.C.C.はGKをめちゃくちゃ高くに上げて、後ろからつないでいくスタイル。
しかし愛媛が中盤をしっかり押さえており、なかなか思うようにボールを入れられない。愛媛はプレッシャーをかけ、
相手のミスを落ち着いて待つ感じ。Y.S.C.C.はポゼッションからの攻撃を志向するのはいいが、そこにこだわりすぎて、
愛媛が自陣でボールを持っているけど実は浮き足立っている、という局面を見抜けていないのが本当にもったいない。
ここで連動して一気にショートカウンターをかければかなりのチャンスになるのにな、と思う場面がチラホラ。

  
L: 三ツ沢は迫力あるプレーを至近距離で観られるので大好き。  C: GKを上げてポゼッションするY.S.C.C.だが、愛媛が対応。
R: そうは言ってもY.S.C.C.はサイドからしっかり攻め込んでシュートを放ってみせる。愛媛のGK辻はよく守っていたが……。

71分に愛媛が逆転。左サイドで粘り強くつないでからクロスを上げると、フリーになった松田が合わせた。貫禄である。
その後はY.S.C.C.がかなり見応えのある猛攻を見せるものの、愛媛の守備が厚くて追いつけないまま時間が経過していく。

  
L: 71分、松田のヘッドで愛媛が逆転。愛媛は現在3位につけており、貫禄を感じさせるゴールである。
C,R: Y.S.C.C.の猛攻。直近7戦負けなしで最下位から11位まで順位を上げており、好調なのが納得できるプレーぶり。

  
L: Y.S.C.C.の攻撃を阻む愛媛守備陣。  C: ベンチに下がっても吠える森脇。  R: Y.S.C.C.のGKはここまで上がってプレー。

アディショナルタイムが5分と告げられ、このまま愛媛がゲームを殺すのか、と思ったところ、まさかの展開。
ペナルティエリア内で愛媛がファウルしてしまい、PKとなる。これを福田が決めてY.S.C.C.が同点に追いついた。

 まさに土壇場で追いついたY.S.C.C.。

勢いづいたY.S.C.C.はいよいよ最後のワンプレーに賭ける。ハーフウェイラインの後ろから前線へフィードを送ると、
福田が抜け出した。まるで愛媛の1点目を再現するような形だが、福田はスピードに乗りつつボールをコントロールし、
落ち着いてGKとの1対1を制した。そしてタイムアップの笛が鳴る。こんな劇的なゲームは初めて観たのではないか。

  
L: 抜け出した福田がシュートを放つ。ブレていて申し訳ない。  C,R: アディショナルタイムの2発で逆転勝利。凄すぎる。

茫然とする愛媛の選手とサポーター。こんなことが起きるのかと思うが、これが現実。ただただ、サッカーは恐ろしい。
天国と地獄があっという間に入れ替わり、愛媛の選手たちはどこか覚束ない足取りでサポーターの元へと向かう。
愛媛サポの対応は極めて理性的で、選手や審判に対する怒号などはまったくなく、前向きな拍手で選手を送り出す。
これは心から尊敬できる対応だ。今日は最初から最後まで、本当にいい気持ちでサッカー観戦を楽しむことができた。

  
L: スクリーンに映し出されるスコア。それにしてもY.S.C.C.の得点時間は極端すぎるぜ。いや、凄いものを見た……。
C: メインスタンドのサポーターの前で喜ぶ「黒手袋の男」福田。記事で読んだ選手がハットトリックとはねえ。
R: ショックの大きい敗戦だが、愛媛サポはゴール裏もメインスタンドも選手を暖かく迎える。たいへん紳士的。

帰りのバスがなかなか来なかったが、待っている間も「とんでもないものを見た……」と興奮が収まることはなかった。
メシを食って家に帰ってからも、「いやあ……」と呟く。サッカーの魅力をあらためて実感させてもらったなあ。


2023.6.9 (Fri.)

アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』全12話を見たので感想を書いてみるのだ。
まあ当然、『けいおん!』(→2011.3.192011.11.162012.1.72012.1.132012.2.17)との比較となるわけだ。
『けいおん!』から何が変わったのか、そして何が変わらないのか。その辺を考えることができればいいのだが。

『けいおん!』が実は演奏がないゆるい日常であるのに対し、こちらはストレートに音楽(バンドリはよくわからん)。
そして陰キャとギター。コンプレックスと絶対的な武器。1話アバンで異世界のプロットが影響しているのが見て取れる。
主人公は個人での果てしない修業を経て、確かな腕を持っている。またもうひとつの武器として、顔もスタイルもいい。
かわいい女の子は何をやっても許されるのである。そんなチートな能力を活かせない主人公の性格、そういう路線の話だ。
なるほど現代的な流れをうまく消化しているなあと感心する。声をかけてほしい人々の共感を生むタイプのストーリーか。

もう少し掘り下げると、努力と成長がストーリーの軸となるはずだが、ヴェクトルをひねることで厚みを持たせている。
たとえば後藤はギターよりコミュニケーションに問題を抱えるが、喜多はその逆。組み替えた理想と現実を交差させて、
受け手がどっちにも寄れるようにしている。そこに全肯定の伊地知とジョーカーの山田という布陣で、穴をなくしている。
『けいおん!』におけるキャラクターは愛でるべき「他者」だったが、『ぼっち・ざ・ろっく!』には「自分」がいる。
ゆえに成功譚の形を余儀なくされる(アジカンへの敬意に溢れているのは、彼らが社会人を経て地位を確立したからか)。
しかしそれだけに御都合主義の要素が強い。いや、ミュージシャンの現実なんてつらいだけだからそこを描く必要はなく、
夢物語を貫くしかないのは当然だ。なぜかギターを探しているリズム隊、逃げたメンバーが実は自分のすぐ近くにいた、
バイト先であり溜まり場であるライヴハウス、などなど。下北沢と金沢八景って時点で、すでに十分恵まれているのだよ。
(居場所は重要で、『けいおん!』の部室に代わるライヴハウスは絶対的だ。バイトが話の本筋にならない工夫でもある。)
『ぼっち・ざ・ろっく!』の世界は徹底して優しいのだ。バンドを明確に「家族のようなもの」と定義しているし、
徹底的に仲のよい家族の描写がそれを裏打ちする。また、ギターヒーローの動画のフォロワーたちもしっかり優しい。
そんな背景で後藤が『人間失格』のようにひとりでこじらせているだけで、その差をギャグとして成立させてもいる。
(「家族」という視点で考えると、『けいおん!』は妹がすべてを赦すのみである。やはりキャラクター主体なのだ。)
だからかなり無駄がない。成功とギャグだけで話が進んでいくのである。おそらく「タイパ」が意識されているはずだ。
そう考えると、『けいおん!』と『ぼっち・ざ・ろっく!』の間には、けっこうな違いがあるように思える。

しかし「究極的には彼女たちのライヴを見たい」のは『けいおん!』と一緒だ。実演がいちばん面白い(→2016.11.21)。
『けいおん!』では本編でもったいぶって声優さんによる公演をやったわけだが(個人的にはまったく賛同できない)、
こちらも結束バンドでシングルをリリースしつつ(このバンド名は正直いいなあと思った)、イヴェントをやっている。
調べてみたらやっぱり声優さんがギターを弾いたようで、努力は否定しないがそれを求めるのは違うんじゃないかなと。
結局のところ作品側がどんなに試行錯誤してもファンは変わっていなくて、同じことを繰り返していくだけって気がする。
観客は個々に演じられる物語に幻想を抱き(二次創作 →2007.11.9)、演じ手に幻想を抱く(芸能人の身体 →2013.3.20)。
そうして消費活動が新陳代謝していくのである。『けいおん!』からまだ10年ちょっと、構造が変わらないのは当然か。

最後に雑感。後藤ひとり、なんか星輝子みてえだな。
「完」はともかく、エンドロールでミジンコまでいくのには爆笑した。実写の入れ方もすごく上手いと思う。


2023.6.8 (Thu.)

テストづくりで日記が進まないのであります。ここんとこ文章より画像整理の方に集中しているのもあるが、進まない。
2019年の10月分をある程度は書いたけど、全体的には負債が着実に増えてしまっているなあと。自業自得なんですけどね。



2023.6.6 (Tue.)

体育祭なのであった。生徒たちは全力でがんばっているが、僕は相変わらずの用具係ということで見守るのみである。

さて今回の体育祭でいちばん面白かったのは、ゴキゲンなミュージックを流しているスピーカーである。
アメリカのメーカーだが「Made in Mexico」と書いてあり、「For Indonesia Only」というシールが貼ってある。
これはいったいどういう事態なのか。アメリカの会社がメキシコの工場で生産するのはよくあるパターンだろうが、
それがインドネシア向けの製品というのが実に興味深い。日本のメーカーより安いので、少し横流ししたのだろう。
インドネシアは人口が増えて経済発展もしているわけだが、太平洋を横断しても元がとれるってのがまた面白い。
そしてインドネシアにはまだ電気機器方面のノウハウはないと。まだまだ原油とプランテーション農業が強いんだなあと。
地理屋は僕だけなので、一人うんうん納得するのであった。後日、授業で生徒にこの話をしたら、みんな呆然としていた。

さてキャップをかぶって半袖短パンな僕だったが、「ゴルファーみたい」と言われてすげえ納得してしまった。
絞りきれない肉のついた体型がね……。それをゴルファーとは的確すぎる表現だよね……。まいりました。


2023.6.5 (Mon.)

体育祭の前日なのだが特に仕事があるわけでもないのでテストづくり。共通問題でやるのは本当に大変であります。


2023.6.4 (Sun.)

これはぜひ!ということで、弥生美術館『伝説のファッション・イラストレーター 森本美由紀展』を見てきたよ。
弥生美術館は高畠華宵と竹久夢二が大好きな弁護士が設立した私立の美術館。というわけで大正ロマン方面に非常に強い。
そっち方面では、蕗谷虹児記念館(→2014.10.18)が印象に残っている。特に好きなジャンルというわけではないが、
社会学的に興味はある。弥生美術館は竹久夢二美術館と一体化しているので、いい機会なのでそっちもお勉強なのだ。

  
L: 弥生美術館。東京大学の裏にある。  C: 入口を正面から見たところ。  R: 東側は竹久夢二美術館。中でつながっている。

さて、まず森本美由紀とは、というところから書くべきか。といっても、作品を見たことはあるはずなのである。
僕の感覚だと、ピチカート・ファイヴのベスト盤(JPN〜Big Hits and Jet Lags 1994-1997)のジャケットでわかるかなと。
筆と墨によるファッションスタイル画で知られているイラストレーターで、残念ながら2013年に亡くなってしまった。
今回の企画展は没後10年ということでの開催。ありがたいことに撮影OKということでウヒウヒ言いつつ作品を見ていく。

  

  

というわけで、作品が筆と墨で一気に描きあげられているのがわかる。いちいちコメントを書いてもしょうがないので、
まずはとりあえず撮影した作品をコメントなしでひたすら並べてみた。これが森本美由紀だ。見たことあるでしょう。
特徴的なのが、輪郭を描かないこと。ずるいと言いたくなる気もするが、光によって輪郭線が飛ばされた表現でありつつ、
なおかつ受け手が理想的な輪郭線を自分で解釈する余地があるということか。ある意味、受け手との共同作業なのかも。
撮影した作品は全体が収まるようにひとつひとつトリミングしているのだが、ぜんぜん魅力が伝わる感触がしない。
つまりは顔も焦点、身体も焦点で、どちらかに絞れない。ただ漠然と女性の全身像を並べているだけという気分である。

  
L: 『ヴァレンティノ』。  C: 『ジャン=ポール・ゴルチエ』。  R: 『イヴ・サンローラン』。

作品を見ていると「森本美由紀はまさに長沢節の後継者だな」と思うが、それは筆を手にしてからの話なのである。
確かにもともとセツ・モードセミナーで長沢節に師事していたが、後継者と目されるまでには、少し時間がかかる。
まあその辺の紆余曲折については後の展示がしっかり押さえてくれているので、とりあえずは長沢節との違いについて。
長沢節はもっとアーティスティックである。それはそっちの方が偉いということではなく、時代の背景が違うということ。
具体的には戦前のモダンを通過しているということだ。つまり、長沢節はアール・ヌーヴォーを消化した作風なのである。
それに対して森本は商業ベースだが、その分だけ需要に応えられる柔軟性がある。単品の作品としてももちろんいいが、
商品の一部となって魅力が輝く作風なのである。これは後述するように、80年代を通過していることが決定的だと思う。
そういう時代の変化を踏まえたうえで、先駆者と後継者の関係性が明確に維持されているところがとても興味深いのだ。

長沢節が通過した戦前モダンと森本美由紀が通過した80年代の違い。どちらも消費社会だが、消費の形態が異なる。
2年前に国立新美術館でやった『ファッション イン ジャパン 1945-2020―流行と社会』(→2021.8.12)にヒントがあって、
これは「自分でつくる時代」と「製品を買う時代」との差ではないかと思う。『ファッション イン ジャパン』では、
1960年代について「『作る』から『買う』時代へ」としていた(そして僕は展示がまだまだ不十分だと感じていた)。
このファッションをめぐる位相の変化が、長沢と森本の作風の違いを直撃しているのである。が、通じるものはあり、
それをわれわれは感じ取ることができるからこそ、森本を長沢の後継者と見なしたくなるのだ。これを言語化したいが、
なかなか上手くできなくてもどかしい。「資本主義・消費社会の深化」という安易な表現にまとまってしまうのが悲しい。

  
L: 津山で過ごした幼少期の作品も展示されている。  C: デッサン。努力が凄まじい。  R: 筆で書いた文字特集。

墨に筆だし、描ききらないところにこだわりがあるし、実は森本美由紀は日本画の継承者でもあるんじゃないかと思う。
伝統的な日本画(水墨画)が「にじむ/にじませる」のに対し、森本は「かすむ/かすませる」という差はあるものの、
空白を恐れず対象の最も魅力的な瞬間を描くという点においては共通性を感じる。特に「美人画」という視点からすれば、
浮世絵を肉筆の水墨画に引き戻すという革新をやっているようにも思える。あえていろいろ並べて比べるのも面白そうだ。

  
L,C,R: ということで着物シリーズ。まあただ、洋服に比べると今ひとつかなって気もする。

  
L,C,R: カラーでの彩色。後で買った本を読んだら、線画をスキャンしてから色だけ塗ってMacで合成するんだと。

  
L: もう一丁。  C,R: 雑誌。やはり商業的な分野で魅力を発揮する作風だと思う。

  
L: ご存知ピチカート・ファイヴ。  C: トリビュートアルバムの越路吹雪。  R: カヒミ・カリィ。

  
L: ブリジット=バルドーのVHSパッケージ。  C,R: ポスター。こういう仕事での強さは圧倒的だ。

先ほども書いたとおり、森本は80年代を通過している点が決定的なのではないかと考える。
80年代の森本は、わたせせいぞうとか原田治とか、そっち方面でのカワイイ路線を徹底して追求している。
つまりはバブルの価値観とベッタリ、見事なまでに時代に追随しているのだが、ある意味でミニマルでもある。
ここを通過したからこそ、長沢節を思わせる後年の研ぎ澄まされた筆と墨の作風にたどり着いたということだろう。

  
L,C,R: 1980年代後半から1990年代にかけてのカラー作品。右の作品は色鉛筆による。

  
L,C: バブルのど真ん中、『波の数だけ抱きしめて』。森本本人も手のみ出演したそうだ。
R: 舞台『ダイヤルMを廻せ!』チラシ原画。この作品は1994年ということで移行期という感じ。

  
L: 自作のオブジェ。  C: キャロリン=G. ハート『舞台裏の殺人』表紙。  R: 題字も手がけた。

  
L: タマちゃんのファッション・レポート。  C: 「エムシーシスター」に連載された『タマちゃん』。
R: 筆と墨のスタイルに移行した当初の作品。こうして見ると、努力であの領域にたどり着いたことがよくわかる。

最後は商品展開された森本の作品群をもう一度おさらいする感じ。あらためてその魅力を突きつけられる。
長沢節仕込みのファッションへのセンスと、80年代に揉まれた商業的センス。これを見事に消化してこその筆と墨なのだ。
そうしてファッションイラストレーターとして独自の作風を確立。早くに亡くなってしまったのが本当にもったいない。

  

  

漫研の連中にも見せればいいやとショップで『森本美由紀 ファッションイラストレーションの描き方』を買ったのだが、
わかりやすいアドヴァイスの行間から、スタイルを確立するまでの凄まじい努力が見えて、実に興味深い内容だった。
プロフェッショナルなイラストの世界に生きる、その道を極めようとすると圧倒的なセンスに加えて無限の努力が必要だ。
その「恐ろしさ」を受け止めることのできない僕は、傍観者として無責任に「興味深い」の一言でまとめてしまう。
そうして彼女の作品にただ魅了されるのみである。とてもとても、追いかける一歩を踏み出す気にはなれないですよ。

3階の展示室は 「高畠華宵 薔薇と鈴蘭」展。上述のように弥生美術館の原点である高畠華宵の作品をじっくり味わえる。
セクシャリティ的に不適切な表現かもしれないが、日本では戦前から女性に漸近する男性たちにより女性の美が追求され、
それが女子によって熱狂的に支持されてきた(いわゆる「エス」への影響、もちろん男性で支持する人もいたわけだが)。
いい意味で性別の垣根が低く、これが大正ロマンという大きなうねりの一部分を構成したという確かな歴史があるのだ。
元をたどればアール・ヌーヴォーに行き着くが、さらにその先をたどるとジャポニズムに至るのが面白いところで、
日本にはそういう下地があったのだ。ミュシャやビアズリーが先祖返りを起こして大正ロマンという形で噴出する。
竹久夢二と高畠華宵はその出発点であり、これが蕗谷虹児(→2014.10.18)・中原淳一・長沢節・内藤ルネと続いていき、
最終的にはいわゆる「カワイイ文化」に収束して、世界中にジャポニズム以来の影響を与えているのが現在というわけで。
社会学的に「いい意味で性別の垣根の低さ」がどのように現代に溶け込んだのかは、僕としては気になるところである。

  
L,C: 高畠華宵の作品群。実に大正ロマンである。明智の日本大正村(→2017.8.13)ではあまり扱っていなかったと思う。
R: 便箋の表紙である『夢の花園』。下半分なんか特に、文字も含めてたいへんアール・ヌーヴォーである。

  
L: こちらも便箋表紙絵『薔薇の庭』。  C: 便箋表紙絵の原画『白薔薇の誇り』。ネーミングセンスがまた特徴的である。
R: 便箋表紙絵『いとしの花』。こういうネーミングセンスって、なんだかジャイアンの『乙女の愛の夢』みたいね。

  
L: 便箋口絵原画『装い』。  C: 日本画も描いている。『惜春譜』。  R: 花の絵もしっかり魅力的である。

そのままお隣の竹久夢二美術館に移動。『竹久夢二 描き文字のデザイン ―大正ロマンのハンドレタリング―』で、
本の装丁を中心にポスターなどを展示。手描きのレタリングを比較するなど、なかなか興味深い内容なのであった。

  
L: セノオ楽譜の表紙絵。レコードが普及する前のもので、いわばジャケットのアートワークってわけだ。
C,R: 銀座千疋屋のために製作された図案。「フルーツパーラー」という言葉とともに当時の質感を味わう。

  
L: 芝園館の映画パンフレット。  C: 「フレンドライブラリー」シリーズ。  R: 夢二デザインの「春」を比較している。

  
L: 1931年の「竹久夢生展覧会」ポスター。これはアール・デコを意識したそうだ。「夢生」は夢二が晩年に用いたペンネーム。
C: マッチ箱のデザイン。  R: 「少女倶楽部」掲載作品。「春の 春の山は まるい 春の 春の鳥は 赤い」の詩も夢二による。

  
L: 日記。正直なところ僕は夢二の絵にはあまり魅力を感じないのだが、やっぱり上手いわーと思わされる。
C: 日本画『最後の手紙』。  R: 日本画『舞妓』。しかし大正時代にどっぷり浸かった気分になりますなあ。

以上である。大正ロマンとカワイイ文化のつながり、またそこへのイラストを含むファッションの影響、
さらにファッションにおける「『作る』から『買う』時代へ」の転換、いろいろ考える扉が開いちゃったなあ。


2023.6.3 (Sat.)

旅行がパーになってしまったが部屋の中で体育座りをしているわけにもいかないので、朝から日記を書きまくる。
午後になって横浜に出かける。J3の奈良とFC大阪の観戦ができなくなってしまった腹いせに、J1の試合を観戦するのだ。
カードは横浜FC×鳥栖。大好きな三ツ沢での観戦で気分を上げようというわけである。横浜FCは序盤でつまずいたが、
そこは四方田監督、ここ最近は調子を上げてきた。鳥栖は川井監督の評判がいいので昨年から観戦したかったのだが、
なかなかチャンスがなかったのだ。今日は存分に切れ者監督どうしの対戦を楽しませてもらおう、とワクワクして着席。
そしたら四方田監督が新型コロナ陽性判定で欠場。そういえばネットニュースで見たような……。うーん、ドンマイ俺。

  
L: というわけで三ツ沢である。三ツ沢のバックスタンド観戦大好き。  C: 審判団などの記号の表現が面白い。
R: ウィントス登場。アウェイのスタメン発表に合わせて手をあげる。とっとちゃんが来てくれればなおよかったが。

J1の観戦はいつ以来か……。調べてみたら去年の夏休みに行ったガンバの新スタジアム以来だった(→2022.7.30)。
コロナの2年間は月イチ観戦を自粛していたのだが、その間にJリーグのレヴェルは各カテゴリーでしっかり上がっていた。
J3は以前のJ2のように、J2は以前のJ1のように。じゃあJ1はどうなっているのよという視点であらためて観戦してみる。

  
L: 全体的には鳥栖が押し込む展開。しかし横浜FCは時折鋭いカウンターで鳥栖のゴールに襲いかかる。
C: 久しぶりのJ1は明らかに以前よりフィジカルが強くなっている。また、選手の判断と技術も確実に上がっている。
R: 攻守にアグレッシヴさが増してGKがペナルティエリア外で追い込まれるシーンも。しかし焦る様子はない。

通路すぐの席にしてしまったので目の前を通る客が多くてぜんぜん集中できねえできねえ。いやあ、失敗した。
おかげでゴールシーンを撮り損ねたりブレて使い物にならなかったり。まあ自分が悪いんで、大いに反省である。
肝心の試合は前半はスコアレスだったものの、後半も優位に立った鳥栖がまずは55分、長沼のヘッドで得点を奪う。
鳥栖は73分にもスピードに乗ったドリブルにパスを織り交ぜて左サイドを攻略、またも長沼が決めてリードを2点とする。
横浜FCのディフェンスも足を伸ばしてパスカットを狙うが、その撥ね返りをしっかり収められる鳥栖の技術が光った。

  
L: 55分、横浜FCが守備の局面で一瞬だけ隙が生まれ、ゴール前に入れたところに長沼のヘッドで鳥栖が先制。
C: 73分、ドリブルで切り込んだ堀米から河田にパスが出たところ。この後、河田が中央に折り返してフリーの長沼が決める。
R: ホームでこのまま終われない横浜FCは、鳥栖のミスから鮮やかな連携で1点を返す。鮮やかすぎて撮り逃してしまった。

ふだん下位カテゴリーばかり観ているせいか横浜FCもそんなに悪いとは思えないのだが、鳥栖の勢いに受けに回って、
その「しっかり押し込んでいるかどうか」の差で劣勢になっていった感じ。反撃に出る横浜FCは77分に相手のミスを誘い、
ボールを奪うとこちらも一瞬の隙を衝いてマルセロ ヒアンがゴール。あまりにも速い展開でシャッターを切り損ねた。
一瞬の隙が勝敗を分けるのは以前のJ1でもそうだったが、明らかにフィジカルが強まって判断のスピードが上がっており、
咄嗟のプレーでミスをしないことの重要性が増している。以前と段違いに集中力が要求されるリーグになっていると思う。
強くて、速くて、上手い。Jリーグは確実に進化していると実感できる好ゲームだった。さすがJ1って感じでしたよ。


2023.6.2 (Fri.)

朝から強い雨だったが午後になってものすごい雨に。東京アメッシュで完全な紫色になっているのは初めて見た。
夕方くらいがピークだったが、台風2号と梅雨前線がタッグを組んだ勢いは凄まじく、自分としては史上最強の暴風雨。

実はこの週末は、奈良から大阪に抜ける旅行を計画していた。土曜日は奈良でまだ訪れたことのない寺社をめぐり、
J3で好調な奈良クラブの試合を観ようと。日曜日は午前に生駒を攻め、やはりJ3に加入したFC大阪の試合を観戦し、
あべのハルカス美術館で絵金(→2015.3.1)をやっているので見て帰ろう、そんないい感じの計画を練っていたのだ。
しかし結局、バスが運休で奈良には行けず。雨を乗り切れば西日本の週末は晴れなのに、悔しい。自然には勝てない。


2023.6.1 (Thu.)

藤井竜王が最年少で名人となって七冠達成おめでとうございます。
関係各所からさまざまなコメントが出ているけど、個人的に最も圧倒されたのが谷川浩司十七世名人。
「中原十六世名人からお預かりした最年少名人の記録を、無事、藤井新名人にお渡しできた」
そもそも元ネタがものすごい名言なんだけど、これを40年越しで美しい伏線にできるってところがもう。


diary 2023.5.

diary 2023

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