大晦日でお笑い番組を見ているが、なぜよけいな「コラボ」をするのか、と憤っております。
純粋にそれぞれの芸をどんどん見せればいいだけなのに、いらん「大物」をわざわざゲストで呼んで学芸会。
「こんな人がこんなことを!」で安い笑いを求めてばかり。『笑ってはいけない~』はそればっかりで下らなくて、
ようやく消えて喜んでいたけど結局あまり変わっていない。どうせ番宣なんだろうけど、本当に勘弁してほしい。ただし、どぶろっくの『イチモツ音頭』に徳永ゆうき・大川栄策・松崎しげるが出てきたのは大歓迎である。
コラボとはかくあるべし、という本質を見せつけられて楽しゅうございました。
布団にくるまって日記の画像をつくったり電子書籍のマンガを読んだりと、きわめて怠惰な生活をしております。
しかし定期的に三つ子の襲撃を受けるのであります。まあ若い世代が楽しそうにしているのはいいことなので、
面白がっているんならええやんけ、と右から左へ受け流しております。きみたちはポジティヴでいろよー。
『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』。サンシャインはまだ見ていないけどこっちは見たので感想を。
(全4回にわたるたいへん気持ちの悪い『ラブライブ!』の感想 →2018.12.9/2018.12.14/2018.12.17/2018.12.20)1期と2期合わせて全26話を見た感想としては、「スクールアイドルって、何?」……これに尽きる。
いや、過去ログでは、時間を有限にすることで老化を否定した成長を描くエクスキューズと論じた(→2018.12.17)。
しかしこの『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』では (めんどくせぇから以下「虹学」と省略)、
ひたすら「スクールアイドル最高!」の連呼であり、無条件の肯定が延々と繰り返されてゲシュタルト崩壊である。
彼女たちは何を根拠に自己肯定しているのか、ファンの女子たちは何を根拠に崇拝しているのか、ワケがわからない。
作中では相変わらずのミュージカル、またPV的パフォーマンスが展開されるのだが、勝手に勝ち負けを感じているようで、
いいパフォーマンスとイマイチなパフォーマンスの境界線が見えないまま、結局は「スクールアイドル最高!」である。
この気持ち悪さは何なんだろう、と思いながら見ていたのだが、どうやら評価軸がdoではなくbeであるのが違和感の元だ。
つまりは「be a school idol」であればそれでいいのである。特訓しているようで実は「how to do」は意識されていない。
だからdoの部分を磨く努力は存在せず、ただbeであることで評価される、そのまことに御都合主義な自己肯定が厭なのだ。
“表出”と“表現”で言うと(→2012.3.6)、表出の意欲はやたら強いくせに表現の質を問わないことに、違和感をおぼえる。
「虹学」では作曲者としてスクールアイドルを支える高咲侑(=you)が登場し、自分の能力に苦悩する場面が描かれる。
しかしこれも気がつけばdoではなくbeでの貢献となる(同じ音楽科のミアの活躍もスクールアイドル一本に絞られる)。
もはや物語の中で成長すらしていない。最初から「できる」女子たちが、ただ互いに褒め合っているだけなのである。このように、スクールアイドルというエクスキューズは、『ラブライブ!』と比べると明らかに変化してきている。
僕はそこに、主役になりたい願望、自分の好きを無条件に肯定してもらえる世界、需要より供給だけが重視される世界、
そういう自分勝手さの強まりを感じずにはいられない。相手への褒め言葉も、他者のいない独白という感触で響いている。
これは言い換えると、「他人が自分の理想どおりであってほしい」という欲望の吐露でしかない、ということだ。
(しかし、他人を自分の思いどおりにすることは決してできない。これは絶対的な真実だ。→2021.5.16)
アイドルとは本来、客が理想とするキャラクターを、その身をもって演じている存在である(→2018.12.20)。
(そもそも芸能人じたい、思想・人格を他者に委ねることでハイリターンが得られる存在なのだ。→2013.3.20)
しかしスクールアイドルは、明確にそれと逆方向の存在だ。「客(自分以外)が自分の理想どおりであってほしい」のだ。
物語序盤でソロのアイドルを強調するのも、それと関連しているだろう。まず何よりも大切なのは自分であり、
doを問うことなくbeを褒め合うことで世界が成り立つ。すべてが嘘くさい。なんと大いなる茶番なのか。
学園祭が最終的にスクールアイドルの発表のための場になってしまっていることは、大人が存在しない世界において、
究極的な自己正当化の現れと言えるだろう。都合の悪いものを一切シャットアウトする自閉的な時間には吐き気がした。いちおう舞台となっている空間についても書いておくか。今回はお台場のビッグサイトでITな学校が舞台である。
しかし街と学校の区別がなくなっている点が特徴的である。さらにはオンラインライヴで情報空間も一体化する。
また国際性も強く意識されている。が、それは自分たちにとって都合のいい外国でしかないのも事実である。
ミアの存在が洋楽のポップスとアイドルソングの境界を示唆したのは面白かったが、結局アイドルに呑まれたのは残念。それにしても、かすみがまんま輿水幸子でどうにも。ま、好みの問題でしょうが。
歴史総合のプリントづくりがつらい。去年も書いたが、列強の植民地化が全力で展開されるので、
しっかり調べてつくればつくるほどブルーになる(→2021.12.7)。マジでメンタルヘルスをケアしてほしい。
僕にとって、世界史ってのは取り返しのつかないことをやっちまった記録なのである(→2019.6.13)。つらい。そういえば、日本史ってのは結局のところほぼ完全に経済史に尽きるなあと思っていて(→2019.6.20)、
ほかの社会科の先生方にチラッと言ってみたところ、皆さん「え!?」という反応なのであった。……そうですか。
そんなわけで、なーんか僕だけ勝手に疎外感をおぼえております。地理はいいよなあ~(地理はいいよなおじさん)。
『かぐや様は告らせたい ファーストキッスは終わらない』。映画館に行って見てきました。
実はTVアニメの『かぐや様は告らせたい』は、ネットの配信でいちおうぜんぶ見たのだ(原作マンガは読んでいない)。
「~天才たちの恋愛頭脳戦~」というサブタイトルと、いちいち「勝利」だの「敗北」だのやっている点とで、
最初はあまり印象がよくなかった。しかし見ていくうちに、結局これ勝ち負けじゃなくてイチャついとるだけやんけ、
そう気がついてからはほっこり見させてもらった。オープニング曲に鈴木雅之を起用するのも巧かったと感心している。
声優さんをはじめ、スタッフが全力で楽しんでつくっているのがよくわかる非常に完成度の高いアニメなのであった。
日常生活でもかぐやの声で「あっ、ダメっぽい!」が頻繁に脳内に響いて困る。あと、僕は特に石上の演技が好きです。
映画では原作を受けてしっかり締めるぞー!という気合いが存分に感じられて、その分ユルさは控えめかと思うのだが、
最後までしっかりとやりきったのは偉かったと思うわけです。もう本当、それに尽きる。お疲れ様でした。ハーサカがかわいいよう
噂の『THE FIRST SLAM DUNK』を見てきました(マンガのレヴューはこちら →2012.6.13/2013.1.12)。
前に何かの機会で予告編を見て「ま、マンガが動いとる……」と驚いた。井上雄彦の絵でそのまま動いていた。
もともと僕はアニメの『SLAM DUNK』にはまったく思い入れがない。ビーイング系のOPもEDも嫌いだったし、
仙道の大塚芳忠が明らかに使いどころがおかしいこともあり声優にも興味がなかった(だから声優交代に賛成だ)。
したがって、むしろ「やっとちゃんとした『SLAM DUNK』が見られるんじゃないか」という期待でいっぱいだった。
で、いざ見てみたらやっぱりもうそのまま。マンガが動いている。マンガが動く、その点だけでも革命的な作品だ。
CGとモーションキャプチャーによって可能になったそうだが、ひとつの方向性を明確に示した意義は大きいと思う。肝心のストーリーは、伝説の山王工業戦と宮城リョータのバックボーンの二本立て。ついに山王工業戦が映像化か。
というわけで、2つの要素がある。「既知の山王工業戦」と「未知の宮城リョータ」である。原作のファンとしては、
山王工業戦はもう何度も繰り返し読んでいるわけで、それをいかにマンガに忠実に映像化するか、がまず焦点となる。
そこに宮城リョータの過去だ。ベースになった作品はあるそうだが(『ピアス』)、多くの人はそれを知らない。
観客が想像し尽くしたものと、ほぼまったく知らないもの。この両者の相性が最後までハマらなかった人は多いと思う。
よく見かけるのは「宮城の物語が暗すぎる」という意見だ。これについてはなんとも。そういう設定ならしょうがない。
問題は『SLAM DUNK』連載終了からの時間経過にあると思う。作者にも読者にも四半世紀という長い時間が流れており、
その時間を埋める要素に違いが生じるのは当然だ。作者=監督には「バスケに集中できない高校生を救いたい」という、
奨学金まで設立するほどの熱い思いがある。しかし読者=観客は、その点に作者=監督と同等の熱量があるわけではない。
読者=観客はそれぞれのヴェクトルで長い時間を埋めてきたのだ。このヴェクトルを収束させるのはかなりの難業だ。
その収束作業は建設的な方向だと「エンタテインメント」と表現されるわけだが、その方向性が十分だったとは言えない。
山王工業戦の映像化を果たした技術への自信が、ヴェクトルの収束作業を甘くさせた、というのが僕なりの結論である。まあそれは監督(=作者)が何に重きを置くかの問題なので、納得できる面もあるし、文句を言うつもりはあまりない。
むしろ僕としては、山王工業戦という試合じたいがいちばん面白いので、回想がどうしても邪魔ったいのがなかなか。
結局のところ、スポーツでいちばん面白いのは試合の周辺ではなく、試合そのものなのだ(→2012.3.10/2016.11.21)。
だからどうしても、試合に入り込んだところで回想がブレーキとなってしまう、その繰り返しで満足度が削られていく。
試合とドラマを完全に分けるのは危険だし、途中に差し挟む以外の方法がないのは理解できる。でも、邪魔ったい。
極端なことを言えば、ドラマを掘り下げたい作者=監督と、山王工業戦を味わいたい読者=観客という対立があって、
作者=監督がドラマのために山王工業戦を利用した、そういう感触がどこか拭えないのである。キツい言い方だけど。
姉歯でM-1鑑賞会を開催した。去年悔しい思いをしたので(→2021.12.19)、今年はみやもりに頼んで準備を徹底。
西新宿のレンタル会議室に集合してみんなで見てやろう、というわけである。晩飯食って酒を買い込み、いざ視聴。
ちなみに「なんか女子会みたいだね」ということで、プリキュアの飲み物を勢いで買って乾杯するわれわれであった。
L: こんな感じ(えんだうさん撮影)。ヤクルトユニの人は「オリックスを倒して日本一だ!」と小ボケをかますが出オチ状態。
R: もう一丁。ちなみにヤクルトユニの人のマスクと武器は、前に借りた人が置いていった(と思われる)ハロウィングッズ。せっかくなのでホワイトボードに点数をつけてみる。途中からリョーシさんともSMSで連絡をとって点数を確認する。
けっこうみんな真面目に細かく点数をつけるのだが、僕はつまんないものにいちいち点数を考えるのは面倒くさいので、
つまんなかったものは一括して85点とするのであった。そしたらみんなにはかつての談志並みに戦慄だったようで。
みやもり | びゅく仙 | マサル | リョーシ | ニシマッキー | えんだう | |
カベポスター | 94 | 85 | 85 | 88 | 90 | 93 |
真空ジェシカ | 91 | 85 | 88 | 91 | 93 | 92 |
オズワルド | 95 | 92 | 87 | 92 | 89 | 94 |
ロングコートダディ | 92 | 85 | 85 | 93 | 86 | 89 |
さや香 | 97 | 96 | 90 | 95 | 96 | 96 |
男性ブランコ | 95 | 85 | 91 | 92 | 94 | 95 |
ダイヤモンド | 89 | 86 | 84 | 85 | 85 | 91 |
ヨネダ2000 | 93 | 85 | 90 | 87 | 91 | 95 |
キュウ | 90 | 85 | 84 | 86 | 87 | 88 |
ウエストランド | 91 | 85 | 90 | 87 | 92 | 90 |
★決勝 | さや香 | さや香 | ウエストランド | さや香 | さや香 | さや香 |
姉歯的には、予選1位:さや香、2位:男性ブランコ、3位:オズワルド、決勝は圧倒的支持でさや香なのであった。
「はい、さや香さや香」なんて言いながら片付けを始めるくらいだったので、みんな結果を見て唖然としてしまったな。
優勝しちゃったウエストランドなんて明らかに戸惑っていたじゃねえか。さや香はぜひリヴェンジを果たしてもらいたい。それにしても、熱心なM-1のファン(マニア)になればなるほど「生きのいい新人発掘大会」みたいな扱いのようで、
そこがまったくもって気に入らない。もともとは島田紳助が芸人の辞め時を悟らせるために始めたはずだったが。
若手の勢いばかり評価する人たちは、単純に芸人が消費されるサイクルを速めて喜んでいるだけではないのかなと思う。
僕はある程度キャリアを積んで「板についた」芸人、どんな場面でも面白い話芸のできる芸人を評価する人間なので、
勢いだけでこの後消えていく芸人に興味はないのだ(→2021.12.25)。苦しみ抜いた笑い飯が優勝したという事実こそ、
M-1の価値を保証していると考えるのだが。なあ、きちんと修羅場をくぐった芸人を優勝させて箔を付けさせようぜ?
優雅な休日の午前中は近くのドトールで日記を書くのが定番なのであるが、値上げラッシュがとことんまで来ており、
ミラノサンドのセットが800円ですよ800円。こりゃもう落ち着いて日記なんて書いていられない事態ですよ。
いよいよ日本経済の破綻でございますなあ。人口も順調に減っているし。本当にお先真っ暗で明るい要素がひとつもない。
まあオリンピックで喜んでいたバカばっかりだもん、しょうがない。神風を夢見ながら座して死を待つのは悲しいねえ。
出光美術館『惹かれあう美と創造 —陶磁の東西交流』。お気づきのとおり、最近の私はわりと陶磁器が好きでして、
そっち方面の知識をのんびりと蓄積しているところである(→2015.6.10/2017.8.12/2018.2.25/2022.6.30)。
なのでかなりワクワクしながら見学したのであった。「東西交流」がテーマだが、そのとおりの展示ですばらしい。まずはシルクロードというか、その辺りの交流でクオリティを高めていったイスラームと唐の陶器からスタート。
イスラームの陶芸はイランやイラクが中心で、偶像崇拝がダメなわりには多様な絵が大胆に付けられている。
技術を誇るような形状へのこだわりはわりと薄く、絵と幾何学的な模様や文字デザインで圧倒してくる作品が多い。
対する中国は立体造形が先に来て、面を意識しながら絵を付けていく感じか。景徳鎮の官窯のレヴェルがとんでもなくて、
どれも凄みを感じさせるものばかり。自分はちょっと中国を舐めていた(→2013.6.16)のかもしれない、と反省。「東西交流」がテーマということで、序盤はイスラーム→中国という方向の模倣・影響の流れが印象的だったが、
後半は(中国→)有田→ヨーロッパという方向の模倣・影響の流れが出てくる。これがかなりわかりやすい展示で、
よくまあこれだけはっきりとしたパクリ関係を探し出して並べたもんだなあと呆れるくらい。知識が深いんだなあ。
パクリと言っちゃうと身も蓋もないが、よく言えば「芸術的刺激」である。職人の間のこの刺激がはっきりと見えて、
日本が鎖国している間にも陶磁器はどこ吹く風でヨーロッパを席巻していたのが面白い。もっと知識をつけたいね。最後にめちゃくちゃ詳しい年表があって、これがいちばん興味深かったんだけど、図録に収録されていなかった。
本当に残念である。せっかくあれだけ調べたんだから、どうにかして公開してほしいのだが。あまりにももったいない。
今度はひどい腰痛。なんでこう踏んだり蹴ったり、弱り目に祟り目、泣きっ面に蜂なのか。
テスト返却なのであった。歴史総合は今回、分野的には日本史に入ったところで、点数が異様にいい。本当に、異様に。
生徒のコメントを見るに、これは高校受験の影響とのこと。中学生のときに懸命に勉強したところが範囲だったそうで。
かつての勉強が身についていること自体はすばらしいことだが、漢字の間違いは多いし知識も暗記に偏っているしで、
手放しで褒められるというわけでもない。その辺の反省ができるかどうかで今後の伸びが違ってくるんだろうなあと思う。
テスト返却なのであった。2年生の地理Aははっきりと傾向が出ていて、みんな真面目なので授業を元にした記述問題は、
本当に正解率が高い。よくやっていると思う。しかし受験の過去問などを改造したマーク問題が、非常に残念なのである。
地理の受験問題は授業で得た知識をそのまま答えるものは少なく、その知識をベースにした応用問題がほとんどだ。
週に2時間の授業ではなかなかその応用までは教えられなくて、生徒は明らかにそこのギャップに苦しんでいる。
僕は慣れているので「頭の体操みたいでたーのしー!」という感覚で、それでまたギャップを見落としている面もある。
来年度からは地理総合が2年生の必修となるので、苦手な生徒にどれだけ応用の感覚を身につけさせられるか、悩ましい。
水木一郎アニキが亡くなったとのことで、つい最近も元気にアニソンの帝王ぶりを発揮していたイメージしかないので、
なんとも狐につままれたような気分である。正直なところ、当方はアニキのアニソンが直撃した世代よりは下なのだが、
ヴォーカルの方の『ルパン三世 愛のテーマ』もよく聴くし、やっぱり偉大なアイコンだったのでそれなりにショックだ。
アニソン最大のアイコンが失われたということは、「職人芸」としてのアニソン(→2012.10.19)がいよいよ遠くなる、
ということではないかと思う。でも十分な再評価がしっかり間に合ったことは、双方にとってすごく幸せだったとも思う。
さすがW杯というか、パリで暴動が発生したそうで。ブラジルなき今、フランスが優勝候補の最右翼であるわけで、
別にそんなベスト4くらいで暴動起こすなんてはっちゃけすぎじゃねーかと思っていたら、事実はかなり社会学だった。まず、暴動の中心にいたのはモロッコ系移民とのこと。モロッコがアフリカ勢初のベスト4ということで大興奮したと。
モロッコ最大の都市はカサブランカ。映画『カサブランカ』はフランス植民地時代の話だったなあ(→2006.10.3)。
なるほどそれでフランスへ渡った移民が多いし、ヨーロッパで活躍するサッカー選手もふつうに多いというわけだ。
ところがこれで話は終わらなくて、モロッコを植民地としたのはフランスだけでなく、北部はスペインが支配したのだ。
先日の決勝トーナメント1回戦でモロッコはそのスペインをPK戦で破っており(→2022.12.7)、マドリードで暴動。
さらにモロッコ系の人々はベルギーやオランダでも暴徒化したそうだ。広い範囲にわたっているなあ、とびっくり。
暴動の背景にはそりゃもちろん「ヨーロッパで抑圧されるイスラム系移民」という定番の構図が横たわっていて、
モロッコの快進撃によってその一部がはっきり可視化されている事態というわけなのだ。いや、こりゃ勉強させられた。
暴動は絶対的によろしくないし、移民云々に深入りするつもりもないが、つねに変化する事実を学ぶ大切さを再認識。
カレーは偉大だとあらためて思った。昨日から食欲がまるで湧かない事態となってしまっていて、
たった1合のメシを食うのにも難儀しているという体たらく。で、とりあえずレトルトカレーにしてみたら、
一口食べるごとに気分がよくなってあっさり完食。スパイスの食欲増進作用はすごいな!とあらためて実感した。
夏バテがカレーで解消できること(→2011.6.24)を知って以来、弱ったらカレーというのが定番の行動になっているが、
冬こそカレーか!と実感したのであった。開き直っていろいろレトルトを食べ比べてやろうかな。楽しんだる。
森アーツセンターギャラリーでやっている『冨樫義博展 -PUZZLE-』のレヴューを。
『幽☆遊☆白書』(→2011.10.31)・『レベルE』(→2004.12.11)・『HUNTER×HUNTER』(→2008.7.25)の3部構成。
「パズル」ということでか、展示会場はすべてジグソーパズルのピースをもとにしたデザインで統一されている。
それ以外のパズルがあってもいいような気がしたが、ほか2つを思いつかなかったか。クロスワードとかあるのに。
まあ冨樫義博という作家はストーリーも絵も天才だが、確かに最も独特なのは頭脳ゲームの才能である(→2008.7.25)。
そのことを示唆するタイトルは実に適正だと思うが、デザインへの落とし込み方としてはちょっと安直だったかなあと。上記3作品の有名シーンの生原稿が順番に並べられており、それ以外の要素はあまりないけど見応え十分。
ただ人が多すぎて、生原稿を味わうというより話の方に入っちゃうから行列がなかなか進まない。家で読め、と思う。
生原稿じたいは、そりゃもうたいへん興味深い。80年代ベースから絵がメキメキと洗練されていく『幽☆遊☆白書』、
実験をしながらもクオリティがまったく落ちない『レベルE』、そのうえで一般向けに回帰する『HUNTER×HUNTER』。
個人的に『HUNTER×HUNTER』は、電子書籍で購入しているが読むのは完結してからと決めているのでさっと眺め、
『幽☆遊☆白書』の後半と『レベルE』を重点的に見ていった。力を抜くコマ(手を抜くのではない)と精密なコマと、
しっかりリズムをつけているのがあらためて印象的だった。読んでいて疲れない塩梅の濃淡というか強弱というか、
読者と感覚を共有するセンスがあるからそのタッチの差異も込みで話に引き込めるのだ。具体的には背景はわりと淡白で、
キャラクターを中心にタッチの差異で「間」を表現する。描かない部分に話の流れを詰め込むのは日本画っぽいかも。
(僕が「何も描かれていない空の部分にどのような物語を詰め込むか」を気にするからかも。→2008.11.1/2009.7.18)
展示では、冨樫氏にとっていちばん面白い作業はネームとあったが、このレヴェルの人なら確かにそうだろうなと納得。
ネームを終えて具体的に描きはじめたときには、身体が過去の脳ミソの奴隷みたいになってしまっていてつらかろうと。
それならネームだけ担当で絵を他人に任せる作戦もあるだろうが、そしてそれでも一定の満足は得られるだろうが、
絵が上手すぎるのでやっぱり冨樫氏本人の絵で読みたいよなあ、と生原稿を見ながらその魅力を再確認したのであった。この展覧会のための描きおろしキービジュアルがなかなか興味深かった。3作品の主要キャラを新たに描いたのだが、
成人男性はより劇画調に、って感じにまとまっている(バカ王子が女装しているのはその影響なのではないかと邪推)。
そのため桑原がいい感じで落ち着いた大人の雰囲気になっていた。僕はこれはこれで好きだけどな。成長した桑原。
ここ最近の体調を崩す感じ……。なんだか、厄年っぽいなあと思う。
男の厄年は数えで25歳・42歳・61歳とされるが、25歳の厄年は大学院で苦しんだこともあり大いにリアリティを感じた。
それで「これなら42歳の厄年はどうなっちまうんだオイ」と怯えていたのだが、時が経って日々忙しく過ごしていたら、
気づいたときには終わっていたのであった(→2019.1.27)。数え年のややこしさで忘却の彼方にすっ飛んでいた。
しかし満45歳を迎えて初めての冬の気配が訪れると、今まででは考えられなかったガタつき具合を発症(→2022.11.9)。
タンパク質を意識した食生活(→2022.11.28)である程度は改善してきたが、なかなか調子が上がりきらないままである。
まあ運動不足は放ったらかしだし、前向きに動くようなことは一切していないので、不調になるのも当然かもしれんが。
いや本当に「遅れてきた厄年」と言いたくなるような事態である。寒川神社で八方除でもかましてやろうかね。
サッカーW杯・モロッコがPK戦でスペインを破って8強入り。スペインはなんだか日本みたいなPK頓死ぶりである。
それだけになんともモロッコが羨ましい。監督だったハリルホジッチがW杯本番前に解任されたことで話題になったが、
彼のチームづくりはきちんと評価せんとあかんよ。そこを「性格がー」とか言っているうちは成長できるはずがない。
冷静に、理知的に、事象に対してその原因を分析することができなけりゃ、同じ過ちを繰り返すだけである。
東京国立博物館『国宝 東京国立博物館のすべて』。創立150年記念の特別展とのこと。
油断していたらチケットがぜんぜん取れず、調べてみたらチケット争奪戦が恐ろしいほどの大激戦になっていたみたい。
ほぼ諦めムードでいたのだが、おととい夜に奇跡的に空きが出て、昨日仕事を早引けして行ってきたというわけ。
テスト前の短縮授業で助かった。本来なら休館日の月曜日も臨時開館、さらに会期を1週間延長という人気ぶりである。
しかも延長された期間は連日午後8時まで開館するそうで、この人気ぶりを最初から想定しとけよとツッコミたい。
まあとにかく、東京国立博物館が収蔵する国宝の大部分を目にするまたとないチャンス、鼻息荒く上野駅に降り立った。構成は「第1部 東京国立博物館の国宝」「第2部 東京国立博物館の150年」に分かれており、初っ端からフルスロットル。
第1部は展示されているものがすべて国宝なのである。右も国宝、左も国宝。後ろから前からみーんな国宝。
トップレヴェルの絵画・書・工芸・刀が延々と並んでいる凄みといったらない。一瞬たりとも気を抜かせてもらえない。
弥生時代の銅鐸から古墳時代の埴輪に飛鳥時代の工芸品などもあり、歴史の厚みがまたとんでもないことになっている。
第2部では国宝でなくても一休和尚像だの抱一の夏秋草図屛風だの麗子微笑だの遮光器土偶だのこっちも名作目白押し。
本当に中身の濃い展示だった。最終枠の15:30入場だったが、閉館30分前になるともうほぼ独占状態で言うことなし。
1周目で気になったものを2周目でじっくりと味わう。これだけ贅沢な時間はいつ以来なのか思い出せないくらい幸せ。気になったものをいくつか挙げると、地獄草子は原爆そのものだなあと。はだしのゲンや丸木夫妻の世界ですよ。
雪舟の破墨山水図をはじめ水墨画がたまらない。瀟湘臥遊図巻の幽玄さを多分に含んだ風景画は見飽きることがない。
書も秋萩帖や寛平御時后宮歌合など仮名は和の優雅さがいいし、無隠元晦あて法語など漢字は禅僧の闊達さもいい。
きちきちした細字法華経の楷書っぷりもいい。工芸では飛鳥時代の灌頂幡。心なしか彫られている天人の顔つきが、
飛鳥大仏(→2011.9.10)っぽい。竹厨子も見事だったが、大昔の天才職人の仕事が今も味わえるのにはただ感動である。
螺鈿細工では片輪車蒔絵螺鈿手箱と光琳の八橋蒔絵螺鈿硯箱が展示されていたが、時代の古い(平安)前者の方が巧い。
あの完成度はなんなのか。刀剣では福岡一文字派と長船派の備前伝が多く、相州伝も目立っていた。違いがわからんが。
ガラスケースの前に最も人が密集していたのは刀剣コーナーなのであった。刀剣女子はやっぱり多いんですなあ。
あとは国宝じゃないけど、いちばん古いのが中国・殷の饕餮文瓿(青銅の鋳造)か。羊の角を雷紋と組み合わせていて、
そのセンスには脱帽である。赤坂離宮花鳥図画帖もよい。麗子微笑は、実物を見たらすごく優しい雰囲気の絵で驚いた。そんなわけで、時代を超えた名品の嵐でもう最高。創立150年記念と言わず、定期的にやってほしいものである。
サッカーW杯・クロアチア戦。姉歯メンバーでSMS経由でダベりつつの観戦である。当方ABEMAだけど。
これまでさんざん前線で走りまわってきた前田の先制ゴールにまず感動。その後はモドリッチの凄みに怯えつつ、
日本はいい感じにのらりくらりとやっているなと思う。遠藤と守田がいいし、鎌田も前の試合よりはいい。
しかしディフェンス面でスペインの地上戦感覚が残っているのか、高さで攻められたときにいつも以上に不安。
クロアチアは前回大会でも延長戦を繰り返して勝ち上がったチームで、自分たちを絶対的に信じているのだろう。
それだけにひとつひとつのプレーに余裕があり、その部分で日本がゆっくりと後手にまわっているように思える。
実際、後半に入ってクロアチアに追いつかれてしまう。でもそこからギアを上げる気配がなく、イライラしてくる。
決勝トーナメントなのでつねに延長戦を意識した采配になるのはわかるが、それにしても森保監督は保守的すぎる。
個人的には南アフリカW杯のパラグアイ戦でスイッチ入れ損ねた(憲剛の遅い投入)のを思い出す(→2010.6.29)。
いざ延長に入ると、収まらない浅野に文句を言いつつ、伊東のスタミナにもうただひたすら涙するのであった。で、結局PK戦となり、日本は1-3で敗れてしまった。4人中3人が失敗というのはさすがにちょっとひどすぎる。
というかそもそも、クロアチア相手にPK戦にした時点でダメなのだ。最後はクロアチアの自信に呑まれた感触だ。
「(モロッコより)クロアチアの方がやりやすい」とか言っていた奴は前回準優勝国への敬意がまるでないと思う。
ここまで戦術で勝ってきたけど、結局は戦術で負けたなあとがっくりである。戦犯森保、選手は全員無罪!と言いたい。
いや、ドイツとスペインに勝った采配(→2022.11.23/2022.12.2)は全力で褒め称えたい。決して弱者の兵法ではなく、
強者のカウンターをやりきったのだから。でも相手にリードされないとスイッチが入らないとしたら、それは無策も同然。
ここからまた4年、じっくりと自分たちの強みを探す旅が始まるわけだ。収穫のある大会だったのは間違いないです。
朝は日記を書いて昼にボンディ洗足店へ行ってみる。神保町カレーライフ第1弾のボンディ(→2019.10.21)、その支店だ。
前に自転車で通りかかって「なぜ洗足に!?」とびっくりしたのだが、近くで食えるのはたいへんありがたいことである。
お値段的には気軽とはいかないが。11時の開店直後に突撃してテンポよく食えたが、11時半前には待つ人が出ていた。ビーフカレー辛口。ふつうサイズで1550円。
今回はずっと気になっていた辛口に挑戦。最初に果物っぽい甘味と柔らかなバターの風味が広がるのは同じで、
辛口だと特にスパイシーな辛さが目立つ感じである。やっぱり飽きずにどんどん食べ進めることができる。
僕としてはルーがもう少し欲しかったがグレイビーボートはいっぱいなので、ライスの量が多めと解釈すべきかな。
定期的に各カレーを食べ比べていくのも面白そうである。頻繁には食べられないが、楽しみが増えたと思おう。午後はスキャナで地理のテストの画像スキャン祭り。元出版社勤務の意地でいろいろと試行錯誤しております。
テストづくりが終わらないのでスーパーに売っていた駅弁持参で朝から職場で作業。おかげで目処がたった。
◇
GL3戦目とはいえ、チュニジアがフランス倒してカメルーンがブラジル倒して韓国がポルトガルを倒してびっくりである。
まあ日本もスペインを倒したわけだが(「三笘の1mm」という言葉が生まれていたのには笑った)、それにしても。
GL3連勝がないのは28年ぶりで、出場国が32ヶ国になってからは初めてのことだそうだ。今後は珍しくなくなるのだろう。
それこそ新しい時代って感じである。……と思ったら、次のW杯は48ヶ国出場で、GLは3ヶ国総当りの16グループになり、
最下位のみがGL敗退になるとか。これは本当につまらん。キリンカップ並みのあっさり加減になってしまうではないか。
半分が容赦なく落とされる現行のレギュレーションは非常に完成されているなあとあらためて思う。もったいないよ。
サッカーW杯・スペイン戦。早めに寝て4時直前に起きる。ちなみに姉歯メンバーで起きたのはみやもりだけだった。
そんなわけでみやもりとSMSでダベりつつ観戦。ABEMAなのでテレビよりちょっと遅いけど、本田さんの解説がいいので。前半はやっぱりスペインペース。前を向いてボールを受ける重要性がわかる試合だなあと思う。中学生の部活だと、
本当にその意識が薄いので。港区のときのコーチは口が酸っぱくなるほどその点を言っていた。さすがだったと思う。
そしてスペインの選手はボールがどのように転がるか、物理法則を完全に理解している感じ。1歩目の速さが明らかに違う。
みやもりはドイツ戦の前半よりは見てて面白かったと言うが、僕はスペインの細部に絶望的な差を感じるのであった。
あとはラテン系だからかどこかブラジルっぽい余裕があるかなと。いつか点を取れるだろという自信がまた妬ましい。
1点ビハインドの日本はやはり後半に選手交代で勝負。堂安が悪いわけではないがクボタケ替えるんかと驚いていたら、
いきなり目が覚める一発を決めよった。堂安のシュートは完全にワールドクラスだが、そこに至るまでの奪い方もいい。
スペインの余裕に対して最高の快感である。さらに日本は攻めかかって三笘のギリギリの折り返しからネットを揺らす。
ぬか喜びはすまい、ゴールキックだろどうせと思いつつVAR判定を待ったらゴールが認められ逆転。大変なことになった。
すると裏のゲームでコスタリカがドイツと大接戦を演じて状況が二転三転、最後はドイツが突き放し日本は勝利が必要に。
みやもりとワケがわからなくなりながらGL最終戦の醍醐味を味わうのであった。いや、これは本当に緊張するけど面白い。
Jリーグ最終節と同じくらい楽しい(→2005.12.3/2012.12.1/2013.12.7)。勝っているから言えることかもしれないが。
2位通過でいいやブラジルいないし、という割り切りを感じなくもないが、後半のスペインはコスタリカ戦の日本のごとし。
結局、日本は最後までしっかり守りきってスペインも破ってしまった。ドイツとスペインに勝つ日本。これが現実とは。スペイン戦の勝利は、最初のドイツ戦よりは衝撃が少ないかもしれない。でもそれは日本の実力が認められた証でもある。
さすがに2点はフロックでは取れない。1失点はまぐれでもありうるが、2失点は問題があるから起こるのだ(→2012.8.5)。
逆を言えば、前大会のベルギー戦(→2018.7.3)も含めて、日本は強豪から2点取れる国になったのか、と思うと感慨深い。
わかっているけど止められない、電光石火で2点取ってしまうサッカーで強豪国を恐怖に陥れているのは実に快感だ。
アクションゲームで考えると、めちゃくちゃ固くて一瞬でダメージを与えてくるボスみたいなもので、ものすごく厄介だ。
最後なんかドイツ戦(→2022.11.23)同様、やっぱり『柔道部物語』の最初の樋口戦を思い出した。あの樋口の表情。
カラスのように嫌らしく賢いサッカー(→2012.3.9)を見事にやってのけている。それは守備的なサッカーかもしれない。
しかしその守備じたいがしっかり面白い。日本はポゼッションが正義の時代が長く、その理想ばかりが追求されてきたが、
南アフリカの岡ちゃん(→2010.6.29)以来ショートカウンターとの相性抜群で、ここまで研ぎ澄ませたかと感心する。
リアクションサッカーでも攻撃がとことん鋭いから面白いゲームになる。少ない手数で決めきれるから相手に持たせる、
これはある意味、強者のカウンター(→2014.7.5/2015.5.3/2018.7.17)をやっているということ。その領域に踏み込んだ。
スペインは初戦でコスタリカ相手にファインゴールを決めまくっていたのに、この試合ではそれがなかったということは、
ファインゴールはシュートにもっていく手続きが実は重要ということか。日本はその手続きの段階を締めていたわけだ。
森保監督は間違いなく5枚の交代枠を最も上手く使っている監督だが、CB3人全員がイエローをもらったにもかかわらず、
そこを替えずに冨安で右サイドを締める采配は凄い。実はここが森保監督の勝負師として最も冴え渡っている部分だろう。
これでJリーグに注目が集まるといいのだが。Jリーグは世界屈指の「戦術で選手の能力を引き上げる」リーグだと思う。最後にもう一丁。ABEMAの本田の解説はやはりすばらしい。サッカーという競技はプレー中に無限に開かれた可能性から、
瞬間的な決断を繰り返していくスポーツである。その選ばれた選択肢と選ばれなかった選択肢のどちらも肯定的に捉え、
そのうえで決断を尊重するのがよい。槙野との考え方の違いも、プレー中の選手の判断について考えさせられて面白い。
ピッチに11人いれば11通りの選択肢が浮かんでいるわけだし、ポジションで差もあるし、監督にも選択肢が浮かんでいる。
それをその場その場でどう統一していくのか、という視点を提供してくれる解説だと思う。本当に勉強になる解説である。
夜もギリギリまで残ってテストをひたすらつくっているのだが、ぜんぜん進まない。なぜだ。